オレは今もまだその光景を憶えている。

その風の匂いさえ。

思い出すとすぐに手の届きそうな距離に感じて、はるか、遠い。





夏は、比較的好きだ。

比較的といったのはあくまで消去法じみた脳内の処理の結果であって、

ほとんど裸同然の格好で古びた飲食店の店先のテーブルにあごをのせて

氷を噛んでいるとしのぎやすいからという甚だ後ろ向きな理由だ。

じゃり、と口の中の犬歯の下で氷ははかなく砕ける。

地方の中規模な山村都市にある街の外れ、といったところか。

打ち水をしない未舗装の道路はひどくほこりっぽい。

例によって行くあてもなくここにふらふらと漂い着いた時には財布がひどく軽かった。

どうにかそれでしのげる安宿のすえた臭いにたまりかねて

こうやって外にでてみてもやはり。

「暑いな」

思っていたことを先に隣の客に言われ、いくぶん気分を損ねる。

「ああ」

「このクソ暑いのにあっちでケンカがはじまるらしい」

土着商店の主といった風体のその妖怪は、右に4つある目をぎょろつかせて

方向を示して見せた。

片側だけでレンズが4つもあるとさぞかしよく見えるんだろうが

土ぼこりで残念ながらオレの視界は霞んでいる。

「元気な奴らだな」

「お前、旅のもんか」

「ああ」

胡散臭がられるのは慣れている。実際あやしげだしな。

「気をつけたほうがいいぜ、九浄の手下には」

「九浄?」

「ここらをシマにしてる武力集団だ。アタマの九浄はかなりスジ通すヤツらしいが最近入った手下どもが手におえん」

てめえの手下もろくに束ねられねえようじゃ九浄ってヤツも大したことねえな、と思いつつ

またゆっくりと目を閉じてバケツの水の中に足をつっこむ。

(あ゛ー後頭部があぢぃ・・・)

遠くでわぁっという喚声とも怒号ともつかない声があがるのが聞こえるが興味はない。

(かんけーないもんね・・・ん?)

ふいに真横に強烈な視線を感じる。

殺気というものではないが、それはまっすぐにオレを見ている。

長い盗賊生活の勘はまず間違いを犯さない。

くるりと視線に相対するように身体ごと回転させると、意外にもその出所は・・・

いかつい男たちに囲まれた、一輪の白百合のような・・・女。

あきらかにまわりのヤツらにからまれている。

不思議なことにその女の相貌には怯えの色はなく、四方から吐かれる

汚い言葉からも完全に隔絶されたような空気でオレだけを見ている。

これは・・・やっぱり助けねーわけにはいかねーか。

(やっぱり隠してもオレの強さって滲みでちゃうってことか?)

「お、おい・・・」

となりの八つ目の亭主の制止もきかず、オレはゆっくりと立ち上がって

土ぼこり煙る美女と野獣集団に近づいた。

「いやーいくらオレでもそんなべっぴんさんにみつめられちゃ照れるやね。 お前ら何オンナ一人にムキになってんだよ・・・これだからレディファーストも知らない奴らは・・・」

近くで見ると髪も肌も雪のようで胸にかき抱けば涼しい風に自分ごと包まれそうな程だ。

切れ長の瞳は相変わらずオレだけをうつして・・・「あ!」

緊張感を根こそぎ奪う素っ頓狂な声にオレも思わず足を止めた。

「やっぱりお前だ!あははは変わってねえなあー!」

爆発的な笑声とちぐはぐな空気にさすがの強面集団も少しのまれたかに見える。

しかし今のオレが問題にすべきなのはそこじゃない。

この声!細いが確実に男の声!!

口角の上がった唇から見える犬歯を見ながらオレは思わず立ちくらみをおこしそうになった。

「お、お前・・・あんときの・・・」

まわりの男たちを土瓶のように無機質にかき分けながら蔵馬はまっすぐ

オレの方に歩いてきた。

「相変わらず変な顔してんな」

「お、お前こそなんだこの状況はあ!!」

耳をぴこりと動かして小首をかしげるヤツのふわふわした下毛が綿雪のように白い。

「知らねー・・・なんかしつこく付いてくるヤツがいたからぶん殴ったら そいつが仲間いっぱい連れてきた」

一瞬、思わずそいつに同情してしまったことはこの際置いといて、

オレは自分のしでかしたことに打ちのめされた。

「うへー・・・オレ、野郎相手に『白百合のような』なんて形容詞使っちまったよ・・・ どーしてくれんだよ・・・」

「何ぶつぶつ言ってんだ?なあお前さ」

「あん?」本当は返事もしたくない気分だ。

「足に自信あるか?」

「オレを誰だと思ってんだよ」

「誰だっけ?」

コケそうになるところをぐっと堪える。

「財宝盗賊黒鵺って言ったらその道じゃあちったぁ名の・・・」

「ふーん。オシ!黒鵺!!よーい!」

印象深い、今は夏毛に彩られている尻尾がぴーんと緊張する。

「どん!!」

「えっ?あっうおーーっ!!」

オレたちは闇雲に町の中心部めがけて走り出した。

あまりに唐突な展開に、九浄の部下のデカい皆さんも

やや暫らく根が生えたように突っ立っているみたいだ。

町の中心を走りぬけ、反対側の町外れにたどり着く頃には追手の気配も大分薄くなっていた。

街の入り口の道程碑を越えるとまた森が広がりを見せている。

夕闇の中で見るそれは、巨大な化け物が蹲っている様を思い起こさせた。









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